やっちゃんのあぐだもぐだ
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ラストサムライ&ファーストサムライの地・福島
FIFAワールドカップ2018日本チームの予選通過は、ブーイングがあったけど結果オーライ。孫子の兵法でのアジア地区から唯一の決勝進出に「侍ジャパン,頑張れ!」と思わず叫びたくなります。
少し話は飛びます。侍と同類の騎士の国イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと4チームも同じ国から予選に出ているのは不公平ではないかと思い調べてみました。理由はイギリスサッカー協会の創立が1863年でありこの4チームが圧倒的に強くFIFA創立の1904年に、イギリスサッカー協会は実力の違いと世界最古の協会である事から固辞、FIFAが強く加盟を促し『一定の自治が認められている地域のサッカー協会の国家協会である』という規定で、イギリス4チーム加盟になったとのことです。2年前のイギリスのEU離脱が国民投票可決でされ、またまたスコットランド独立の動きが出ているとかの話もあり、何となく今回のFIFAワールドカップの参加国チームの戦いぶりには興味をそそられます。『侍ジャパン』のニックネームがついた日本チームが明治の夜明けの『ラストさむらい』のように正々堂々と決勝トーナメントも勝ち進んでもらいたいものです。
さて、今年は戊辰戦争150年の節目の年でもあります。ラストサムライの地の福島の7月は各地で色んな行事が行われます。ワールドカップサッカーは15日が決勝戦、どこの国が勝ち進むのですかね?サムライジャパンの祭の一つである伝統の相馬野馬追祭は7月28日29日30日の3日間です。この野馬追も福島県のSNS発信Uチューブにはラストサムライの一シーンとして勇壮な神旗争奪戦の騎馬武者隊として登場します。相馬藩は鎌倉時代初期(1189年)以来戊辰戦争終結の1868年までの約740年間を相馬氏が所領とした日本で最長の武家です。また、今年は同じ日になってしまいましたが、二本松城の落城の日が7月29日です。落城の前夜、28日には二本松少年隊顕彰祭が行われ、29日は二本松藩主丹羽家菩提寺の大隣寺にて墓前祭が行われます。戊辰戦争の時、二本松藩は信義に基づき城を枕にして討ち死にした唯一の藩です。ラストサムライそのものが二本松藩なのです。12歳の少年兵が白兵戦に出陣し幼くして散っていったのが二本松の地ですので、記憶に留めてください。
150年前の二本松藩と会津藩はまさにラストサムライの地でもあります。相馬藩は、平安時代から武家社会になった当初から740年間も同じ地域を治めた領主であり、こちらは『ファーストサムライ』の地であると表現してもいいかと思います。
写真は国の重要文化財『阿津賀志山防塁』です。3.2qの防塁線が残り阿武隈川に接続する奥州藤原氏と源頼朝軍との奥州合戦の結節ラインです。武家社会の始まりは阿津賀志山防塁線が破られたのがキッカケであり、戊辰戦争で二本松藩、会津藩が落ちて終結しました。いわば、『ファーストサムライ』から『ラストサムライ』の現場は福島県にあることを認識いたします。
サムライジャパン頑張れ!
3つの火山のこと
吾妻山・安達太良山・磐梯山の三つの山の火山防災会議が開かれ、初めて避難計画が策定され新聞発表となりましたので、安全対策も含めPR致します。
磐梯山の噴火口の東側15kmのところに安達太良山の噴火口沼の平があり、その北側10kmの所に吾妻山系で噴煙の時々上がる一切経山があります。それぞれが百名山でもあり特異な火山景観が目に焼き付きます。
直近の大規模噴火は、磐梯山は明治21年(1888年)7月15日水蒸気爆発、5村11集落が埋没し477名の死者を出し、多くの湖沼群を誕生させました。安達太良山は明治33年(1900年)7月17日に沼の平噴火口に隣接した硫黄精錬所の社員、死者72名負傷者10名の犠牲者が出ました。吾妻山は1893年〜1895年(明治26年から明治28年)に何度も小規模な水蒸気噴火、1893年6月27日の噴火で火口付近調査中の地質調査員2人死亡の記録が残っています。
磐梯山水蒸気爆発の遙か昔に誕生した猪苗代湖があり南側に広がります。一方、この時の爆裂口のある裏磐梯の景観は圧巻です。江戸時代の地図にはまったく湖が記されていませんので、いかに水蒸気爆発がすごいものであり、吾妻山系、安達太良山系そして磐梯山系に囲まれた深山幽谷の地に多くの湖沼群が誕生し景観が一変したかが理解できます。大爆発から130年の景観が今の状況であり、周辺には多くのスキー場もありカヌーやラフティングなどのスポーツも行なわれる森と湖の一大リゾートに変貌しています。
吾妻山系の一切経山は今でも時々噴煙があがり山麓からも遠望できます。古い噴火口はコニーデ形の吾妻小富士ですので一見して噴火口である事が分かります。この山には総延長28km山岳有料道路が走っており標高1600mの浄土平までは気軽に登れますが、山形県にかけて奥深い山ですので、じっくりと縦走することもお薦めです。山間部には湖沼があり『魔女の瞳』のニックネームをもつ魅力的な沼もあります。
沼の平こと安達太良山の噴火口は圧巻の景観があり、地球上にいることさえ忘れてしまいそうな不気味な色彩の火口が大きく口を開けています。火口の周辺部からの360度のパノラマ景観はさらに圧巻です。標高1700m程度の稜線には植物は全くなく、標高3000m以上の景観を持つと言われている所以です。沼の平噴火口の真ん中から1kmほど東側に岳温泉の湯元があり、隣接して年中無休の温泉付き山小屋『くろがね小屋』があります。今から194年前までこの地点に岳温泉(陽日温泉)があったところです。
今回の火山防災会議にて有事の際の脱出ルートとして、馬の背からくろがね小屋への直降ルートが記入され一安心しております。夏山登山シーズンに入りました。写真は立ち入り禁止の沼の平底部からワンショットです。
岳八景「遠藤が滝」のこと
 早朝散歩をしていると、若葉の微妙な芽吹きが見え季節の変わり方が毎年違って見えるようになります。昨年の秋頃からの私の感覚では寒暖の差が激しく、この極端な差が今も続いているように思えます。今朝もお客様をご案内して早朝散歩でしたが、出発時には雨が止み、温泉神社を過ぎて500mほど歩き、夏無川を渡り、深堀温泉跡に着いた途端に冷たい雨に見舞われ、急遽引き返すことになりました。しかしながら、引き返しの道すがら岳温泉の近くに戻ったら雨は降っていなく、極端に斑のある天候に今年の天候不順さを感じた次第です。
私が春から晩秋までご案内している早朝散歩の道は岳温泉の小さな歴史を45分くらいで巡る旅です。現在の岳温泉は今から112年前の明治39年(1906年)にこの地に作られたのでその当時の都市設計の考え方で旅館や商店などが配置されております。昭和29年頃までは現在のメインストリートの真ん中に2つの共同浴場が配置され、間口を八間に区切り旅館や商店が両側に並び、それぞれの建物には縁側があり、上部には温泉神社があり下部には桜坂に続く鏡ヶ池があり、中心に2つの共同浴場を挟んだ、いわば温泉コミュ二ティーのようなものでした。共同浴場を撤去して、真ん中に水路が作られたのですが基本的には建物配置は変わっておりません。
 観光地としての魅力付けをいかに計るかが大事な事であったことが岳温泉の歴史を紐解くと見えてきます。明治の末から大正時代の魅力付け施策のひとつが『岳八景』です。桜坂・見晴山・鏡が池・夏無川・遠藤が滝・高台が原・立石・錦谷で八景ですが、本日が、遠藤が滝不動尊の例大祭でしたので『遠藤が滝』の説明をします。
遠藤が滝は深山幽谷の山岳仏教修験場にぴったりの場所であり岳温泉からは約6km西側の和尚山の下部にあります。遠藤が滝の名称は、源頼朝と同じ時期に伊豆国に流配され、頼朝の知遇を得て鎌倉幕府成立に少なからず影響があったとされている遠藤盛遠こと文覚上人が、若い時期に滝に打たれて修行をしたと言われているところだからです。
遠藤盛遠は友人である源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、渡の寝込みを襲ったはずが、実は袈裟御前が夫の身代わりになり、誤って盛遠は刃にかけてしまいます。世の無常を感じ、仏門に入り出家した話は平家物語で有名です。その盛遠が文覚上人とし修行の地であった話が伝わっているのが『遠藤が滝』であり、嘉永3年(1171年)ことです。今も修行の地であった事が感じられ、新緑のこの時期には絶対にお薦めできるサイトです。是非お出かけください。4月30日発行のはずが5月5日になったお詫びに、お不動様の御利益がある事を祈り、遠藤が滝の写真にて「あぐだもぐだ」といたします。
中通りの開花前線
3月中に二本松に開花宣言が出されたのは私の記憶では初めての事です。福島県の新聞に桜前線が出始めるのが例年は4月からです。スキー場便りにはまだ滑走可能なスキー場が多くありダブル掲載も初めての現象ではないかと思います。
「暖冬だ、暖冬だ」と言われているここ数年に比べて、今年の冬は安定した積雪量でした。秋にはカメムシが多く発生、「今年は雪が多いよ!」という予言?が見事に当たったようです。天気図の冬型気圧配置が12月から2月までは続いたようですが、3月が近づき、急に春の日差しが強くなったように感じます。この辺は、例年よりもズーッと積雪量が多く、普段は余り降雪の無い本宮や大玉村の道路脇に1m以上の雪が残る風景が印象的でした。こんな風景が3月10日頃から急激に春の日差しが強くなり、東京での開花宣言が聞かれたのが3月17日。21日の秋分の日を境に急に日の出の時間が早くなった感じ始めた途端にスキー場の積雪も2月末の3分の1位になってしまいました。日差しが強く、私の感では今年の開花はめちゃくちゃ早いのではないかと思っていましたが的中でした。因みに簡易な開花予測計算方式は、『600℃の法則』出そうです。2月1日からの最高気温を累積し、600℃になる日が開花の日となるのですが、何日かの誤差は許容範囲のようです。気象予報士になったつもりで、私も東京の開花時期を計算してみると、2月1日からの最高気温累積値の593℃が3月19日、606℃が20日であり、17日の開花は、ほぼ「ご明察」です。岳温泉の予測も日別最高最低気温が分かればやってみたい気がします。
中通り地方の4月は花盛りになります。中通り桜前線の特異な点は、北から下りて来ることです。これは阿武隈川の源流が奥羽山脈の東北と関東との境にあり『北へ行く川』として239km流れて仙台湾に注ぎます。上流付近の白河市の川面は標高420m、郡山市付近で225m、二本松安達が原付近で195m、福島県庁付近で65m、宮城県との県境付近が30mとなり仙台湾に入ります。緯度による温度の低下よりも標高による温度低下が勝るのです。このような特異条件を加味しても、今年の開花は例年より約10日位早そうです。花見山の早咲きの桜は既に満開、信夫山は3分咲き、二本松市内はつぼみ膨らむですが、鏡石寺は既に咲き始めました。霞が城のライトアップは5日から、7日に霞が城の相生滝前にて観桜会が行なわれます。三春の滝桜は10日頃、合戦場の桜は15日頃、岳温泉桜坂も17日頃であって欲しい所ですが今年は読めません。岳温泉桜祭りは4月21日22日ですので、これ以上累積温度が上がらないで欲しいものです。
 毎年、この時期に浪江町の皆様に桜の手入れをして頂いており、お陰で桜坂の桜は見事な花を付けます。
 写真の高所作業車が本日の作業風景です。地元岳温泉からの感謝の意もあり、今年も良い花が咲いて貰いたいものです。

人類とオリンピックの道
  オリンピックはアジアの時代の様相です。2018平昌、2020東京、2022北京と漢字で表記できるオリンピックが続くのはどうしてなのでしょう。近代オリンピックは1896アテネから始まり、冬季オリンピックは1924シャモニーから開始ですが、冬季オリンピックは氷が解けてしまい、雪不足で隣の国から雪を運んだとか色んな話題があったようです。今回の平昌オリンピックは寒すぎる、風が強いとかの問題が報道されていますが、人工降雪機やサッカー場にもなるスキージャンプ台とスノーボードビッグエアージャンプ台併設も含め、全競技会場が30分で行き来できる会場配置は素晴らしい気がいたします。ギリシャで始まったオリンピックが極東アジアにて夏冬連続で3回も開催されるのは人類がアフリカ大陸で誕生しヨーロッパ大陸に渡りついにアジアの極東にたどり着いたことと同じように感じてしまいます。3連続アジア開催と人類の誕生からの足取りが同じだと思い、こじつけ的安達太良=アイヌ語論の第2弾をお話ししたいと思います。
  まずは結論から。adataraのaはアイヌ語で「私の、われわれの」意味です。dataはtottoが変化。tottoやtoは母や乳首を表し、乳はtope。raは低い所、翼の意味があり、adatara=atottoraはまさに「私の母(おっぱい)の広がった所=我らが母なる大地」となります。この結論は言語学者、アイヌ語研究者や歴史学者の等の著書からのゴチャマゼ理論ですけど…。20万年前にアフリカで誕生したホモサピエンスは6万年前が出アフリカで5万年前にアジアに到達。日本への到達ルートは、@3万8000年前から4万年前の朝鮮半島・対馬ルート、A3万年前以上の台湾・沖縄ルート、B2万6000年前のサハリン・北海道ルートです。2万数千年前から4万年前は最後の氷河期であり海面は今より120mも低く大陸とつながっていました。旧石器人から縄文人も同じ経路で日本列島に到達して安住の地になったのです。言語系からは、オーストロネシア系もツングース系も日本列島で互いに接触し混合されて行きます。3000年前(BC1000年頃)の縄文晩期には朝鮮半島から北部九州に水稲耕作・金属器を伴う新文化の弥生文化が成立し、日本国中は縄文から弥生にとって代わります。北東北と北海道には限定的で、続縄文文化が7世紀まで継続します。アイヌ語がつい最近まで話されておりアイヌ語地名があちこちに残る地域です。青森にも弥生前期にも稲作が始まった形跡があります。ところが同じ頃に寒冷化現象により東北地方では人口が希薄化します。北東北には北海道からアイヌ民族が南下してきます。南の福島県にも顔の描かれた小型の縄文土器がつくられるなど人口減少の証拠が見つかります(岩代・中平遺跡)。アイヌ民族は文字を持ちません。日本に漢字が伝わったのは紀元後4世紀頃であり世界的に遅い方です。古墳時代の日本では弥生時代人と狩猟漁労の民がキチンと住み分けし、共生していたようです。特に北東北にはアイヌの民が多く住み、河川の名称などは使われ続けたのではないでしょうか。659年の遣唐使に熟(にき)蝦夷(えみし)男女2人が同行とあり南東北のどこかの出身です。景行天皇27年(1世紀頃)に日高見国の東夷の中に椎結、分身(入墨)の記述があり、明らかに南東北にもアイヌ人が住んでいた証拠ではないかと思います。中通りには仁井田(ニイダ=湿地)とか谷地(ヤチ=沼)などのアイヌ語地名が沢山あります。713年の好字令発布により安多太良は安達の2文字表記になったことはアダタラの名称のルーツを解りにくくしていると思いますが、私のあぐだもぐだ言語論には合致します。
  アジア地区連続開催のついでにオリンピックを磐梯山を中心に開催したらどうかとも思いますが如何でしょう。安達太良山に雪を頂くと将に乳首山、良い景色です。
オリンピック出場四方山話
ピョンチャンオリンピックが間もなく始まります。開幕直前の日本選手の活躍ぶりが連日新聞やテレビを賑わし、福島県ゆかりの選手として猪苗代高校出身者が3人も出場します。スキーモーグル競技の遠藤尚選手、ノルディック複合の渡部剛弘選手、そしてチェアスキーの鈴木孟史選手です。遠藤尚選手は「自分は高校まで育ててもらった猪苗代が大好きです。ここまでの選手になれたのも猪苗代を練習バーンとしてやってきたからだ。それでも世界に飛び出すには、甘えの許されない環境に身を置くことだと考え、先輩の中村さんの会社(宮城県忍建設)にお世話になって競技を続けている。オリンピック3回目の出場になるのでメダルを取り現役を引退する」と述べ、前回のソチオリンピックの後に腰椎骨折もし、今期のワールドカップには2位に入るなど自信に裏打ちされたスピーチには感銘を受けました。
ノルディック複合の渡部剛弘選手はワールドカップ転戦中でありこの種目では福島県からは初出場です。実は福島県にはジャンプ台がありません。オリンピック種目の中のクラシック競技であるこの競技で福島県出身の選手が出ることは絶賛に値します。ジャンプ台については1997年の国体の時に作られたのですが、維持が難しく、こわれたままになっており、ジャンプ台のない県出身の選手がオリンピック日本代表として出場するのは周辺のサポートも含め大変な努力です。今日の新聞にも同じ猪苗代高校の先輩方と出場できるのは光栄である、自分のパフォーマンスをしっかりさせて望むとの談話です。剛弘選手の所属はガリウム(スキーワックス)ですが、元素の名称であり滑走性が非常に優れており東北の鉱山にて発見されワックスとして世界の選手が使っています。
鈴木孟史選手は小学2年生の時に交通事故で両足を無くしましたが、チェアスキーでアルペンの金メダルを前回のソチオリンピックで取っておりこちらの活躍も大いに期待できるところです。彼が中学生の頃は福島県の身障者大会をあだたら高原スキー場で行っていたので鋭く縦にスキー板を切ってくる滑りが目に焼き付いております。
さてこのように種目が違って3人も同じ高校からオリンピックに参加するのはめったにないことです。これら3選手はアルペンスキーから入りオリンピックの切符を手にしています。この磐梯山周辺に根付いたスキー文化のなせる業が多くのオリンピック選手を生み出し育てる地域なのかもしれません。
磐梯山周辺には数多くのスキー場が点在します。猪苗代湖の湖面の標高はちょうど500mくらいです。湖の北西側に広がる平地に連なり磐梯山がそびえ立つ風景は心が大きくなる感じです。磐梯山の周辺に点在するスキー場は天分の立地にありオリンピック選手を産み出す絶好の環境にあります。出場選手の応援をお願いし開幕前の「あぐだもぐだ」といたします。

檜枝岐と岳物語
東北一高い山は燧ヶ岳(2316m)。この山があるのは日本一人口密度の低い檜枝岐村です。日本有数の特別豪雪地帯であり、周囲を栃木県、群馬県、新潟県に囲まれた福島県南会津郡にある人口600人ほどの村です。この村の特徴は名字が星、平野、橘しかなく周囲を栃木弁、群馬弁、新潟魚沼弁と南会津弁(会津弁のさらに訛りがキツイ)に囲まれながら、なめらかな西日本言葉を今も話されている村です。先日、檜枝岐でクロスカントリースキー大会があり、村のお歴々からご馳走になったので、私だけが知っているマル秘物語の話を致します。
今を去る843年前の秋、平家が栄華を誇っていた京の都は、木曾義仲軍の攻勢による焼き討ちに遭っていました。平敦盛の恋人である麗御前も義仲軍の乱暴狼藉に危うく命を絶たれるところ、義経の指揮の下、助けには入ったのが小槻隆国と言う陸奥は安達の庄の若武者であり、救い出された麗御前は若武者のその名を心に刻みつけることになりました。元暦元年(文治元年・1185)平家一門は壇ノ浦にて滅亡します。京の戦乱の折に、身ごもっていた敦盛の子を出産した麗御前たちは従者と共に落ち延びた先は遠い陸奥の檜枝岐の地でした。檜枝岐での暮らしは厳しくも少しは慣れてきたとき、今日の戦乱の折の恩人である小槻高国のことが頭をよぎりました。夫の敦盛は戦乱で既にこの世におらず敦盛の子・小敦は5才になっていました。命の恩人の小槻高国を訪ねたいと周囲の反対を押し切り、小敦を連れ従者夫妻と共に岳山(安達太良山)の麓にたどり着き、粗末な家を建て暮らすことになりました。いつしか見目麗しき御仁が岳の地にいるという噂は、小槻高国にも伝わり岳の地での再開となり、自然の成り行きで一緒に暮らすことになりました。岳の地での小槻高国、麗御前、小敦の幸せな暮らしぶりはいつしか鎌倉方の知るところと成り追っ手の手により岳の地で3人とも果てることになります。時は文治元年(1186)6月10日、不憫に思った岳の人々が懇ろに埋葬し三人の塚が立てられました。生き残った従者はその後、檜枝岐へ戻り平野の姓を名乗り今に至るというお話です。この話は昭和4年頃に尾瀬に行き平野長英さんの山小屋に泊まり、帰り際に寄った檜枝岐村の民家の古老が、「二本松から来たのであれば、平野家に伝わる秘密の話しをして進ぜよう」と話した内容です。二本松から檜枝岐に行った旅人は竹田町の大内信祐さんです。80才過ぎてライフワークとしてペンネーム北郷隆平として著わしたのが「御前塚物語」であり、檜枝岐側には平野家が平家の落人であったらしいとの話しが伝わるだけ、星家は9世紀頃に檜枝岐に入り、橘家は織田信長に追いやられた伊勢の豪族の子孫とだけ文献にあるようです。平野家が二本松側の物語にだけ登場します。檜枝岐と岳温泉は昔からスキー仲間で仲が良く馬が合います。
8百年以上前からのお付き合いの所以かもしれません。クロスカントリーもアルペンスキーもできるバックカントリースキーには最適の場所が檜枝岐です。写真は村長の星光祥著の檜枝岐道物語の表紙です。

あだたら学事始め
安達太良に関することは何でも研究して文化的資料に落とし込み後世に伝えて行こうという岳温泉文化協会と言う団体があります。平成13年春に創設され文化的研究全般を行っております。この団体の創立5周年記念誌『根びらき』を見ると初期の活動内容が見えてきます。初代会長は二瓶義松氏(故人、現くろがね小屋初代管理人)事務局長が鈴木孝雄氏(東雲堂医院院長・現・文化協会会長)で調査員の肩書を持つメンバーの顔触れは様々です。酒造会社社長、植物の研究家、登山家でペンションオーナー、温泉会社社長、元教員、世界中を今も歩き回っている現役の登山家等々です。最初の岳温泉文化協会会報を見ると創立時の思いが伝わって来ます。
初年度から会報が発行されており、テーマから活動内容が見えてきます。リュウキンカ観測会、ブナ原生林観測会、黄判沼のモリアオガエル観測会、旧登山道見て歩き・登山道を探る、仙幽・硫黄採掘場跡探索報告、春の前ヶ岳登山報告、円東寺跡探索記、塩沢の老木を訪ねる山行、安達町大谷地のリュウキンカと山の入りダム、深堀街道見て歩き、隠れ谷地探索行、湯川渓谷を探る、姫沼観測会、ヒメボタル観察会、二合田用水路探査などです。
創立5周年記念誌を見ると、会報で報告された以上の文化協会全体の幅の広さと奥の深さが見えてきます。特にヒメボタル観察記録については特異性が覗えます。設立当初から毎年6月下旬から7月上旬にかけて夜の8時から1時間程度の観察がなされヒメボタルの発生地域、期間、観測地点と生息数などが報告書に上がっています。このヒメボタルについては平成13年から18年間の観測結果を今年の夏に二本松市長を通じて報告されることになりました。ちなみにヒメボタルが観測され全国のヒメボタル研究のきっかけになったのが昭和37年に奥岳付近の観測が最初で、昆虫学者の大場信義博士によって始められたようであり、安達太良における観察の重要性が分かります。ヒメボタルは陸生のホタルの為に人が立ち入り過ぎると成虫を踏み荒らし戸数の減少につながる恐れがあるので本年度までは公表を控えてきました。今年の夏、初めて市教育委員会と共同で現地の調査が行われ、来年の夏前には何らかの告知もあるかと思いますので楽しみにお待ちください。
  直近の岳温泉文化協会の活動に『かぎろいを見る会』がありますが、冬至直後の十六夜の朝、東の空の夜明け前にかぎろいを見て、さらに安達太良山を振り返ると月が傾く瞬間を見る集いです。「ひんがしの 野にかぎろひの立つ見えて かえりみすれば 月かたぶきぬ」人麻呂。この歌は奈良の地で詠んだのでしょうが、柿本人麻呂も歌枕に安達の真弓を歌っています。奈良時代に安達に来たの?ってな疑問も解けるかもしれませんので、『かぎろいを見る会』に参加してみませんか。実施日は平成30年1月3日早朝5時鏡が池集合です。晴れれば『阿武隈山地に『かぎろいが立つ』と『安達太良山に月かたぶきぬ』が見えるかもしれません。
 『あだたら学事始め』として、ここに研究成果を公表いたしたく思います。次回以降もよろしくお願いいたします。

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