やっちゃんのあぐだもぐだ
過去の記事
スキー場閉鎖に思いを込めて
 3月31日、あづまスキー場さよなら懇親会に出席して来ました。今シーズン限りで、スキー場営業を休止するとのこと、苦渋の決断であったに違いないと思います。福島市唯一のスキー場として福島市営リフトと(株)吾妻観光計画の併設で行っていた時期や、日経不動産により上部に延びていった時期もあり、その後も経済情勢の影響からかスキー場経営が吾妻観光開発に集約されていった経緯もある程度は知っているので、吾妻観光計画の菅野光信社長には、改めて長い間スキー場を守って来られた情熱と努力に敬意を表したいと思います。岳温泉とは兄弟のようなスキー場なのでスキー場がまったく閉鎖してしまうことには福島県スキー界にとってもまったく損失であり、福島市民にとっても冬期のレクリエーションの場として活用の場がなくなることは大きな損失であると思い、一日でも早く再オープン決定の報が待たれます。
 岳温泉スキー場と上部に伸びていった経緯はすごく似ていて、閉鎖はまったく残念でなりません。岳温泉のスキー場に初のリフトが誕生したのは昭和29年12月、私が小学1年生の時でした。東北陸運局第1号のリフト開業となったのはその2シーズン前に私の父、義一が高湯の菅野国広氏(菅野光信氏のお父様)らと志賀高原や野沢温泉に当時新設のスキーリフトを見に行き、猪谷六合雄氏らからスキー場開発についてご進言をいただいたことがきっかけでした。菅野氏は福島市と共同で吾妻スキー場の開発を進め、我が岳温泉は昭和29年に福島電鉄(福島交通の前身)と合弁で岳温泉観光株式会社を設立、スキー場経営に当りました。その後、リフトの増設、上部スキー場開発から二本松市による経営。そして、下部の第1、第2リフト営業の停止、岳観光(株)の解散により精算(昭和43年)、さらに二本松市も公営スキー場運営の難しさから、昭和47年からスキー場経営を富士急行に移行、あだたら高原スキー場として現在に至っています。
 今、全国の名だたるスキー場が、バブル景気によるリゾート乱開発の後、急激な経済環境の悪化により閉鎖や事業主体の交代に追い込まれています。山間の温泉場は立地条件の悪さを克服するために、経済的メリット追求だけでは割り切れない気持ちでスキー場開発などに心血を注いできています。同じような志を持つものにとっては口惜しい限りです。冬のオリンピックでメダルが1個しか取れなかった原因はスキー場やスケート場の閉鎖が大きく影響しているのは誰の眼にも明らか。宿づくり20年、リゾート作り100年、いやイタリアのコモ湖などは1000年だそうです。日本の地域開発が、ヨーロッパの山岳リゾートのように伝統的地域社会を守りながら、100年の計できちんと開発されるような社会の仕組みに変わらなければ、地域個性のある一級のリゾートはできないと思います。近視眼的な政策のあおりを受けないようなリゾートづくりができる国家に、いち早く変身してもらいたいものです。