やっちゃんのあぐだもぐだ
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3.11備忘録
東日本大震災にて被災された皆様に改めて衷心よりお見舞い申し上げます。
3月11日からほとんど思考停止中でしたが、大地震発生時に館内におり、備忘録的に再開『あぐがもぐだ』第一号に岳温泉での大地震を書きしるします。
この日の地震発生時には運よく館内の一客室におりました。それも私の弟と弊社の営業部長、それに年間で一番送客の多い案内所の役員と会議中でした。また、偶然にも東京在住の娘二人が帰省して二本松駅から私の携帯に電話をくれた時に地震が起きたのです。娘が「お客様もお待ちだけど、駅迎えのバスがまだ来ないよ? ワッ…、すごい地震!」と話したと同時に自分たちの居る部屋の畳がとんでもなく大きく揺れ始めました。長い揺れが治まるのを待って客室から飛び出したら廊下は煙幕のように白い粉が舞い視界不良。あちこちで閉まっていた防火扉を開けながら、一番強度が弱いと思われる建物へ走りました。既に会議場に居たお客様もどちらに逃げていいのやら右往左往。すかさず「こちらへ来てください。新館はマグニチュード8.5まで大丈夫ですから…」「ガラス側には近づかないでください」と玄関側の建物へ誘導、地震は何とかおさまり怪我人は一人も出さずに済みました。県内のお客様は帰宅の途に着かれ、首都圏在住のお客様は停電で暖房が効かない中、ロビーの暖炉で暖を取り、炊き出しのおにぎりをわが社の社員と共に食べて過ごしていただき、3日後に東北本線が宇都宮まで開通したのでお送りすることができました。水道が止まっても、幸いに玄関先の井戸があり、幸いにも温泉は無事。ご飯は薪で炊くことができキャンプ生活のようでした。建物はつなぎの部分(エキスパンションジョイント)がほぼ破壊されましたが、一部の宴会場を除いてはほとんど無事ともいえます。配管系統はほとんど破損し全館あちこちで水漏れでした。
停電のためにテレビからの情報が入らず、通常電話も携帯も使えず、ガソリンが買えない不安な日々でした。12日の夜に電気が復活し津波と原発事故の映像に触れ大変なことになったことを実感、岳温泉地域全体の被災状況もようやく掴めるようになったころから放射能汚染が深刻であるとの報道に大変なことになったと強く認識しました。
被災1週間目に浪江町からの被災者が二本松の体育館に避難され入浴ができないとの話、マイクロバスを旅館組合で共同運行させ全避難者に岳温泉の湯を入浴していただけました。旅館を2次避難所とすることが決まり4月5日からは千人以上の人が岳温泉地域に避難しておられます。来月に仮設住宅に移るまでは岳温泉に滞在されています。岳温泉の放射能レベルは中通の他の地区に比べると以外と低く安心して過ごされているようです。一日も早く原発が封じ込められいつもの福島になってほしいと思う日々が続きます。写真は安達太良山開きの安全祈願祭。放射能よ消えてなくなれ!

マップ旅行より冬山体験
私の趣味はマップ旅行。行きたいところに簡単には行けないが好奇心だけは旺盛な為です。地図検索のGoogle Earthが登場してからはマップ旅行もさらにおもしろさが増しています。このところヒマラヤ登山の小説『遥かなる未踏峰』と紀行文『ヒマラヤ初登頂・未踏への挑戦』を立て続けに読んだものだから自分が行ったこともないヒマラヤ山脈にもマップ旅行を企てています。ヨーロッパアルプスのつもりエベレストに行ってみたら余りの高さにビックリし慌てて高度を上げるようなこともしました。インターネットのお陰で自分が行ったことも無いところに瞬時にいけることは素晴らしいことですが、現実にいけないことへの欲求不満の原因にもなりそうです。
また、ツイッターやフェイスブックのお陰で安達太良山や岳温泉の情報が瞬時に世界中に広がるようになっています。岳温泉には青年海外協力隊訓練所があります。ここから派遣される国がアジア、アフリカ諸国でありアラブ諸国のほとんどに訓練生が行ってるので気になるのですが、チュニジアに始まったツィッター革命が、エジプトに飛び火しアラブ諸国が次々と革命のデモに巻き込まれているニュースを聞くにつれインターネットが国を転覆させてしまう現象にも驚きます。
Google Earthのマップ旅行もTwitterやFacebookによる情報伝播は味も素っ気もないサイバーネット世界のなせる業だけど、この便利なシステムを活用しマップ旅行から観光旅行につなげるための仕掛けは何なのでしょうね。観光事業者としてはこの仕掛けが何かが分かれば千客万来間違いなし、誰か仕掛けを教えてもらえませんか?
冒頭のヒマラヤ山脈グーグル旅行のキッカケは前述の著書を読んだことですが、小説の著者であるジェフリー・アーチャーの話の展開に巻き込まれ1924年のエベレストに引き込まれました。紀行文の著者は二本松在住の登山家・尾形好雄氏でありヒマラヤの高峰を17座も踏破し自分のパーティーからは一人の遭難者を出してない方です。2つの著書は見事に私をサイバー世界ですが厳寒のヒマラヤにいざないました。高校時代に読んだヨーロッパアルプスの山岳小説のお陰か、私もアルプスの嶺でスキーを体験した事があります。ヒマラヤ登山家の尾形氏は登山の原点は安達太良山と吾妻山と言い切り、気がついたらヒマラヤを17座も制していたそうです。
写真はツェルマットからのマッターホルン(にみえますか?)=あだたら高原スキー場ゴンドラ山頂駅からの矢筈ヶ森。私にとっては我が心のマッターホルンです。アルプス疑似体験はいかがでしょう!
安達太良雪山賛歌
今年は例年に無く冬型の気圧配置が続いています。三寒四温はどこへ行ってしまったかと思うぐらい晴れ間が見える日が少ないようです。クリスマスの日から快晴の安達太良山の写真が撮れないままでもう4週間目に入っています。やっぱり異常気象なのでしょうか。それとも日本スキー伝来100周年を記念して各地のスキー場に恵を与えてくださっているのでしょうか。
今シーズンのあだたら高原スキー場はお陰さまでコースはベストコンディションで名物の風が余り吹きません。中規模スキー場の割にはコースが変化に富んでおり、どんなスキーヤーやスノーボーダーにも対応でき人気です。また、昨年完成したゴールドラインリフトのお陰で初心者にも大好評で、中間駅で降りれば緩斜面だけの長いコースになり初心者でも恐怖心を抱かずにスキーができるようになっています。
冬になるとどうしても雪のことやら異常気象の事がこの『あぐだもぐだ』の話題に入ってきますが、生まれた時から同じところに住んでいるせいか、雪の降り方の微妙な違いがよく分かります。
私の住んでいるところは標高530mくらいですが、昭和4年に作られた岳スキー場の基部は標高630mくらいです。このスキー場がどんどん上に伸びていき標高970mまでリフトが到達したのが今から54年前の昭和32年でした。さらに昭和39年には現在のあだたら高原スキー場が烏川リフトまで到達(標高1150m)、そして平成2年についに薬師岳山頂駅(標高1350m)にゴンドラがかかりました。地球温暖化に伴って少しずつ雪線が上部に延びていったことが良く分かります。標高970m以下の古いリフト2基は昭和43年に廃止されましたが、もしも今年のような雪の降り方なら標高差720m全長4kmも滑れる大スキー場であったのです。30年ほど前までのパラフィンワックスは温度の適用範囲も狭く、雪の降り方や斜面の陽の当たり方に大きく左右されたのでいつも気温や雪温を気にするクセが付いています。
スキー板もヒッコリー材やイタヤ材に平エッジからメタルスキーとなりモールドエッジ(板に埋め込み式)に変わり、板がチタン合金となり断面が台形化、ついには現在のシャモジ型の短いカービングスキーとなりました。昔に比べるとスキーの操作性も格段に上がっており、さらに安全になっています。
今日の日経新聞には「スキー今度は子連れで…ブームを支えた世代戻る」の記事になり、思わず喜んでしまいました。
あだたら高原スキー場はスキーやスノーボードスクールの指導プログラムも大変充実しています。是非、雪山にお出でください。写真は正月1日の矢筈が森です。山スキーのシュプールが見えますか?多分、相当のベテラン山スキーヤーのシュプールですが、スキー場近辺でも充分に冬の自然を楽しめます。
スキー100年で健康家族
  今シーズンは明治44年(1911)にスキーが日本に伝わってちょうど100周年のシーズンです。新潟県の高田にてオーストリア陸軍のレルヒ少佐の指導による高田連隊の話は有名です。
  東北地方に伝わったのは同じ年の12月である翌シーズン、米沢の五色温泉にて当時横浜在住の外国人商社マンが初滑走であり、奥羽線板屋峠駅まで列車が入れた事で格好の山スキー場になったのがキッカケです。この五色温泉には旧福島藩主板倉家の六華クラブと言う別荘が建ち、スキー創世記には旧華族の方々が集まり賑わいを見せたようです。福島県で最も古いスキークラブである不忘スキークラブ(福島市)が創立されたのが大正12年(1923)ですから福島のスキーも歴史があります。我が岳温泉にスキー場ができたのは昭和4年のこと、同時に岳温泉スキークラブが創設されて現在のあだたら高原スキー場までスキーの歴史が連綿と続いております。
  スキー技術と用具の変遷についても大変におもしろいものがあります。初期の頃の一本杖とイタヤやヒッコリー材のスキー板から、現在のカービングスキーやスノーボードに至るまでスキー部材の変遷もすごく、スキー技術の習得は用具の発達と常にリンクしており最近はスキーやスノーボートの技術が簡単に取得できるようになりました。
  さて、あだたら高原スキー場、今年はスノーマシーンを増強し地球温暖化でも安定して滑れるようにと待っていたシーズンが今シーズンです。しかしながら、12月25日のクリスマス豪雪のお陰で、全コースが一気に滑れるようになっています。正月前にベストコンディションになったのは初めてのことです。
  スキーは長く重たい道具を使うスポーツだから、やろうという気持ちが出るまで意外とハードルが高いスポーツだと思います。それでも各スキースクールの指導要綱も大変整っており簡単に滑れるようになります。
  今年からあだたら高原スキー場では@『初めての方、3回のレッスンで基本を習得』というキャッチフレーズの下、スキーとスノーボート教室を始めました。その他、Aシニアの方だけのレッスン、Bコブ専科、Cポール専科、D朝一番のファーストトラック、E五葉松平のスノーシューツアーなど色んなことを楽しめるウィンターリゾートになっています。また、専用のちびっ子広場にはスノーエスカレーターが新設され(写真)初心者にとっては高いハードルである階段登行や八の字登行を習得せずに、より安全で楽しいスキーを始められるようになりました。 
  冬の日を日常から離れたゾーンで過ごしませんか。免疫力アップの4大法則は、姿勢を良く、汗ばむ程度の運動をし、空腹を感じ、そして寒さを感じることだそうです。家の中で背中を丸めてないで、せっかくのスキー100年の年に、おそろいで新しいスキー場を楽しんでみましょう。ベストコンディションのスキー場で身体もベストコンディションになります。クーリングダウンは『岳の湯』に浸ることです。
ガウダー理論パワーウォーキングの真髄
  パワーウォーキングの提唱者であるガウダー氏の岳温泉訪問が今回で5回目になりました。最初は5年前の2005年3月1日。その年の6月に岳温泉で日本初のパワーウォーキング指導者育成講習会が開催され53人のインストラクターが誕生いたしました。その後も毎年来日され、その度に岳温泉にて講習会を行い多くの方に参加をいただいております。5回に亘ってガウダー氏のパワーウォーキング理論を学んだお陰か、ガウダー氏の提唱する真髄がようやく理解できるようになりました。
  ガウダー氏は50km競歩の金メダリスト(1980年モスクワ)であり、自らの世界記録3時間37分47秒は20年間も破られませんでした。中学生まではスキー複合の選手でしたが、競歩の才能が目に留まり競歩競技に転向させられたようです。当時は東ドイツであり国家プロジェクトとして彼のために特設の練習道が作られた事もありました。引退後は建築家になり、古い家屋の解体でウィルス性の心臓病に罹り、当初は人工心臓、そして心臓移植を余儀なくされ現在に至っているようです。心臓移植後は通常は6年くらいの余命になるようですが既に13年経過、現在はイオナ大学にて教鞭を取りながら自らの体験を基にした社会教育者として世界中で活躍されている方です。
  ガウダー理論は心拍数を基にしたトレーニング理論であり、第2の心臓である足の機能を高めて新陳代謝を良くし健康増進につなげる理論です。心臓から出た血液は体の末端の毛細血管で各筋肉組織に酸素を供給し新陳代謝が行われ、静脈血として心臓に戻されます。足の動きはこの老廃物をたくさん含んだ血液をキチンと心臓に戻す大事な役割があります。カカトで着いて足底のローリングでつま先を蹴ることによりフクラハギのピストン運動につながる訳です。正しい足の動きがいかに大事かです。
  ガウダー氏が正しい足の動きをするのは当たり前ですが、他人の心臓を第2の心臓である『足』を使って生かし続けているところに真髄があります。岳温泉でのセミナーが5回目になり参加者の顔ぶれが変わってきたことに気づきました。それはガウダー理論の真髄に迫るために参加する方が多くなってきたことです。2年前から片肺の方は数日前のウォーキングで60kmと30kmを続けて踏破したとか。生まれながらにして臓器不全でも歩くことにより姿勢が良くなってきた方は、今ではスキーで冬の山岳耐久レースにも出場できるようになったとか。若くして脳梗塞に罹りながらも正しい歩き方でほとんど正常な動きになった方。まったく健康体で自らがウォーキングの指導者として活躍中の方などが今回の参加者でした。これらの方々はさらにガウダー理論の真髄に迫りたく今回の参加につながっているようです。
  写真は今回セミナーのヒトコマです。岳温泉観光協会にはウォーキングインストラクターが常駐しており、ガウダー氏直伝のパワーウォーキングをご指導できます。
異常気象と安達太良山紅葉前線
  安達太良山の紅葉を見ると、今年の異常気象ぶりが何となく分ります。ゴンドラ山頂駅を降りてすぐの薬師岳から絶景は10月9日頃から例年通りの発色でした。でもこの頃に麓から見る山はほとんど緑色。標高差400mを一気に稼ぐあだたらエキスプレスゴンドラのお陰で夏から秋に一気に駆け上がれ、錦秋の安達太良を間近に観賞できるのでたくさんの人でにぎわいます。
  紅葉が見事な上に、簡単に絶景が見られるものだから登山道は様々なリゾートファッションで溢れるます。こちらもカラフル。最近目立つ山ガールファッションはカラフルなタイツにスカートとヤッケ、帽子もリュックも登山靴もさらにカラフルです。伝統的チェック柄の登山シャツを着たスタイルはまだまだ多く、主流を占めていますが、中にはまさにヤマンバ(ガングロヤマンバの)そのまんまの女性も見受けられます。ハイヒールのロングブーツにミニタイトスカート、そして通常のストッキング。ゴンドラ山頂駅からしばらくは木道が続くので勘違いし、つい標高1700mの山頂まで気軽に登ってしいます。木道の長さは800m程度、あとは石ころだらけの登山道。案の定、下り道で歩けなくなって抱えられて降りて来る旅行客を何度もお目にかかりましたので要注意です。
  ゴンドラ乗場付近が過ごし易い気温でも山頂駅からは急激に気温が低下します。さらに標高1700m位の稜線に近づいたとたんに偏西風が吹きすさぶのが安達太良山の特徴であり要注意です。ちなみに標高を100m上がるごとに気温は0.6℃ずつ低下。ゴンドラ乗場が10℃の時は薬師岳山頂駅は7.6℃、標高1700mの安達太良山頂は5.5℃になります。さらに常に西風が吹く稜線では体感温度は簡単に0℃くらいになってしまうので細心の注意必要なのは言うまでもありません。
  さて気象と紅葉の話に戻ります。今年の秋は、標高1350m以上とそれ以下では極端に気象条件が違っているように感じています。今年の初冠雪日は10月27日。20年くらい前の初冠雪日は10月初旬から中旬であり、紅葉垂直前線も少しずつ麓に降りてきたように記憶にしています。連日猛暑日が続いた夏の後、一気に冬になったような感じが今年の秋です。空気の温度差が高層と低層では極端に違っているのではないでしょうか。だから、局地的な豪雨や、竜巻も発生するのかもしれません。
  異常気象のせいか岳温泉周辺はやっと今頃になって色づいてきました。菊人形の会場付近はこれからが紅葉の始まりです。菊の咲き具合もようやくよくなってきたようです。安達太良山は紅葉の絶景地が随所に点在します。是非、錦秋の安達太良と二本松を楽しみにお出かけください。写真は今年の夏、気になった山ガールのワンショットです。ご参考までに…
国境争いと50kmトレランの舞台
  国境争いと言っても、尖閣諸島のことではなく会津藩と二本松藩の国境のことです。わが安達太良山の稜線を挟んで会津藩と二本松藩は昔から硫黄採掘権と温泉の利権を巡って争いがありました。それが安達太良山の稜線を巡っての境界争いです。
  1664年に幕府判定のための第一回折衝が行われ、二本松藩と会津藩から一人ずつの藩使が幕府の評定所に出頭、この第一回目は二本松藩が敗訴し、使者は責任をとり割腹自殺したとのことです。この時は二本松藩の使者が評定所の詰め所にて、先に居た会津藩使者からいきなり二本松の使者への質問「会津領岳山(安達太良山のこと)の境界の件について、上府された二本松藩の使者殿か」と問われ、使者は思わず「いかにも」と応じてしまい、幕吏が出席すると会津藩士は「会津領岳山として、二本松藩使者殿には、既に承認されている。」と申立てたので、特別の詮議も無く会津藩の勝訴となったとの挿話です。
  第2回の争いは、約百年後の1754年に幕吏の現地検分が行われ、二本松藩の家老を筆頭にして数人が立会い二本松藩勝訴となったのです。この時の有名な挿話は、藩お抱えの儒学者・岩井田咋斐が三尺弥源次を使って二本松藩の主張する境界線に、木炭を埋めておきそれを証拠として安達太良山頂の二本松領を主張し百年前の判定を覆した話です。三尺弥源次がどんな人物であったかは、塩沢二又沢出身の小柄で身軽な人物であったと伝わっており、二本松と会津を安達太良山を越え一日で往復できたそうです。また菅笠を胸に当て一日走っても地面に落ちる事がなく、また1反(約9m)のふんどしを棚引かせても端が決して地面に触れることもなく走れる忍者みたいな人物であったと想像されます。
  さて、今回の写真。9月26日に行われた第1回あだたらマウンテントレイル50kmの覇者がゴールを切るときの写真です。前置きの二本松藩と会津藩の争いとは時代も背景も違いますが、この優勝者望月選手も三尺弥源次と同様の能力を持った選手に違いありません。トレランの舞台は国境争いの場と同じ、安達太良連峰の全ピークと奥岳、石筵、沼尻、横向、塩沢の各登山口を5回も上り下りし山道44km累積標高差4058mをわずか6時間44分45秒で無傷でゴールです。奥岳から安達太良山頂まではわずか28分だそうです。国境の炭が埋まっているかもしれない尾根を飛ぶように走れ、岩を飛び、潅木と笹をかき分け走りぬく様は超人的身体能力の持ち主でしょう。ちなみに凡人の私も出場しましたが途中棄権。でも素晴らしいトレイルレースでした。来年は皆様も出場してみませんか?
安達太良賛歌と50kmトレールラン
  日帰りで気軽に登れる全国100名山の第1位(5月のbe土曜朝日新聞)になったせいでしょうか、今年は色んな雑誌に『安達太良山』が取り上げられています。登山とはジャンル違いの月刊スキージャーナル9月号にも田部井淳子さん親子(嫁姑)と安達太良山が20ページにわたりグラビア特集されています。この中には三浦豪太さんも登山における運動効果などを詳しく取り上げ、夏山を使った冬のスキーのトレーニングについて触れています。是非、ご一読をお勧めします。
  さて、わが愛する安達太良山には7つの登山口があり色んなルートが取れます。今はメインルートが表安達太良登山口こと奥岳登山口になっています。ゴンドラで一気に標高1350mの薬師岳まで登れるこのコース、実は昭和39年のスキー場の夏山リフトが開業してからの安達太良山系では新しいルートと言えます。ゴンドラのお陰で春夏秋冬の安達太良連峰の変化が身近に感じられ、蔵王連峰、阿武隈山地など大パノラマも楽しめる人気コースです。
  メインルートが便利になりすぎると、古くからある登山道の整備が追いつかなくなるのは世の常ですが、塩沢口からの登山もお勧めです。塩沢口→馬返し→僧悟台→笹平→弥陀ヶ原→鉄山→馬の背→矢筈ヶ森→峰の辻→くろがね小屋→塩沢別れ→湯川渓谷→八幡滝→屏風岩→馬返し→塩沢口とルートで標高差役1050m、距離約18km、所要時間で約7〜8時間。通常は逆ルートを取るようですが、最初の上り坂はキツくても森の中を歩き、僧悟台に近づくにつれ植生も豊かになり、安達太良山、篭山、鉄山、箕輪山の景色がだんだん近くなる景色には他のコースにはない達成感を感じます。笹平付近がカール状ににえぐれ、この谷に降る雨が一気に東鴉川の急流になるのかと思うと自然の驚異さえも覚えます。笹平分岐に到着し鉄山避難小屋に来るとホッとするからこの辺を弥陀ヶ原と言うのでしょうか。ここからは沼の平噴火口の不気味な景色が目に入ります。本当は鉄山から今は通行禁止になっている馬の背→くろがね小屋のルートが最短距離です。梵字石のような歴史的遺産(山止めの祈願石『寛文10年(1670年)』)があり、湯川の源流を右にみて湯川渓谷を下るのがお勧めですが……
  さて、その他、石筵、県民の森、沼尻、横向、野地の登山口とありそれぞれのコースに特徴があるのが安達太良の登山コースです。実はこの9月26日には登山コースの80%を使い第1回安達太良山50kmマウンテントレールレースが開かれます。午前6時に奥岳のスキー場をスタート、制限時間15時間で標高差1000m位を5回上り下りを繰り返すレンジャー部隊並みのレースです。地元の山でこんなレースをやるのに黙っているわけに行かぬと私も老骨(?)に鞭打って出場することにしました。参加することに意義ありの参加ですが、途中リタイアを視野に無理せず無事生還を期します。写真は笹平のカール状地形。別天地の景色を見に、日帰り登山も良し、50kmトレイルレース参加も良し。気軽に我が裏山まで出かけてみませんか?
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