やっちゃんのあぐだもぐだ
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天地人と岳の湯
この冬の天候は大荒れ。11月には2度の積雪、暮れの大風、春のような雪解け雨から暴風雪と荒れた天候の繰り返しです。景気も異常気象と連動しているのでしょうか、連日の不景気報道に不安がつのります。私の景気判断は唯一予約状況による判断ですが、旅館業はいいときも悪い時も伝わる反応が遅い業種です。湯に浸かってのんびり構えているクセが宿六には伝統的に備わっているのか、ゆで蛙になっても気づかないかもしれません。
こんな習性の伝統的宿六に付ける良い薬は旅をすることです。幸いにも旅行代理店の総会が各地で新年早々に開かれます。この総会参加こそアンテナを磨き、良い情報をキャッチする絶好の機会と思って諸国行脚し各地のバス会社などのセールスマンから生きた情報を得ます。ここに来てNHK大河ドラマによる旅行需要の換気効果が顕著で、各観光地はおこぼれにあやかろうと必死です。前回の篤姫、前々回の山本勘助、その前の新撰組と県ぐるみで大河ドラマ対策に躍起になります。今年は「天地人」、直江兼続の舞台上杉領は新潟、福島そして山形であり、このチャンスを逃すまいと各地域とも必死の様相です。それにしてもトップである織田信長や豊臣秀吉がテーマの大河ドラマが最近はなくて、お嫁さんか脇役が主演になりますね。異常気象や異常景気の時は、女の人や現場に精通した人物が集団のリードをする大事な役回りになるのかもしれません。女性知事の誕生もしかりですね。
さて、天地人と福島の関わり。福島県が上杉藩だったのはわずか3年強。会津若松の神指城(こうざし城)が幻の城郭建築であり、上杉家が永遠の繁栄都市を築こうとしたところであることもつい先日知りました。たまたま見たヒットラーの映画に登場する第3帝国の模型と上杉藩の幻の神指城は大分違いはありますが、領主の壮大な思いが同じであったかとも推察致します。会津から減封され、上杉家が米沢盆地だけで小藩ながら実の成る木を生垣にし、地場産業を発展させ上杉藩を幕末まで存続させる基礎を築いた直江兼続の生き方は今の世の中に当てはまると思い、このドラマの人気が判る気がします。
そうそう、福島県が上杉領であった時のエピソードに岳の湯の記述があるようです(テレビには出ません)。大森城(福島市)の城主栗田国時が敵対する伊達軍をおびき寄せる為に岳の湯に湯治に行っているという噂を流し、敵を誘い込み、まんまとやっつけ追い払ったとのこと。何とか、岳温泉も天地人にあやかるネタが見つかりました。ちなみに、写真は塩沢付近から見る鉄山です。この麓から悠久の温泉が湧き出ています。現在の岳温泉は町ぐるみの引っ越しで、ここの源泉から8kmの引き湯をしています。酸性泉の強い泉質が、まろやかな肌触りになって旅館に到達します。福島市から会津に通ずる最短距離がこの山道(湯川渓谷の登山道)だったようです。天地人にあやかって湯に浸かり、悠久の時を感じながら景気対策の秘策でも練ることをお奨め致します。
岳スキー場の話
ようやく本格的に雪が降りホッとしています。ホッとしたついでに岳のスキー場の歴史を綴ってみます。岳温泉にスキー場が誕生したのは昭和4年12月のこと、日本にスキーが伝わって18年後のことです。スキー場を開発した下りが祖父の書いた[岳に生きて]に掲載されているのでここに紹介してみます。
「東北の冬は暗く閉ざされた長い一日の連続であった。当時の岳温泉は例にもれず訪れる人がほとんどなくさびしい温泉街であった。まして雪深く一日中吹雪が荒れ狂う安達太良山は、とうてい登れないと思い込んでいた。大正13年3月東北大学山学部から冬の安達太良山を征服したいとの要望があり、私が案内役を引き受けることになった。……
その頃からぼつぼつと各地でスキー熱が高まり、私は岳にもスキー場を開設したいとの夢を抱き始めた。……
昭和4年の春、……岳温泉の将来についての座談会を開いた。冬の誘客には、スキー場を開設することが一番確かな道である、との結論に達したものの、経済力にとぼしい我々には、やはり夢でしかないのかとあきらめかかったが、その時、近藤先生が故郷の発展のためと、スキー場建設資金として、大金50円を寄付下され、……岳スキー場の調査を依頼してくださったその結果、安達太良山には岳温泉を根拠とする有望なスキー場ができると報告されたので、夢が実現の運びとなった。
……スキー場予定地が国有林であったが、スキー場利用の許可がおりなかった。…防火線としてある空地の利用を許可されたので約千メートルのコース整備と休憩所の新設に取り掛かった。昭和4年11月のことである。…」このような経緯がスキー場が誕生の秘話です。その後、昭和29年に地元50%、福島電鉄50%の資本構成で岳温泉観光株式会社による東北陸運局第1号のリフト営業が始まり、昭和39年からは二本松市が上部にリフトを増設、昭和47年からは富士急行がスキー場の運営に携わり今日に至っています。昭和4年から80年後の今日、スキーヤーにも親しまれる温泉場に大変身する事ができありがたいものです。
今年の冬には久しぶりに新しいリフト(4人乗り)が誕生しました。リゾート不況の中の設備投資はすごいことだと思います。シーズン中に安定して積雪があることを祈るのみです。写真は昭和29年頃の岳スキー場の様相です。
2009年は我が社にとっても創業75周年の記念すべき年。8月まで記念イベントを続けますのでさらなるご愛顧を御願いいたします。
追伸:創業75周年を記念して『岳に生きて』(著者・鈴木一二)の単行本10冊を先着順に進呈いたします。ご希望の方は、葉書にて私(鈴木安一宛て)にお申し込み下さい。
ウォーキング地形日本一の理由
岳温泉は『日本一多様な散歩道を持つ観光地づくり』をテーマに2003年から観光地づくりに取り組んでいます。日本一というキャッチフレーズはウソだろうなどという方もお出でです。それでも私は岳温泉を中心とする安達太良山山麓は、日本で最もウォーキングに適した地形ですよと言い切ってきました。伊能忠敬のように、実際に日本国中を自分の足で歩いたわけではありませんので、「どうしてそう思うのか」とか「他と比べて本当にそうなのか」とかの鋭い質問には、「平坦すぎもせず、急峻すぎもせず、ちょうどいいと思いませんか?」と逆質問の答えではぐらかしてきました。ところが自分の感を大事に言い続ける事が大事だということが、つい先日知人から見せてもらった論文で判りました。ここに『日本一ウォーキングに適した地形である』と言い切れる論文をご紹介いたします。
さてそのタイトルは『安達太良山東麓岳凹地における河川争奪と地形発達』いい、福島大学教育学部の教授陣による1982年?1983年の調査に基づく論文です。内容は、二本松市の北側で福島市との境界にある黒森山(760.4m)と笹森山(中通り地方のテレビ塔の山)稜線(700m?900m)から、安達太良カントリークラブに南側にある苗松山(498.2m)までのラインと、湯川渓谷・馬返地点の谷底(標高800m)地点から苗松山の西側約1kmの地点まで(標高340m?400m)の、南北幅10km、東西の幅1km、勾配が30%の地域に当たります。山岳河川は北側から湯川、烏川、深堀川が合流して原瀬川、夏無川、杉田川となり阿武隈川に注ぎ込みますが、洪積世末期には一番北側の湯川がこの細長い地形を西に流れ、岳温泉付近の台地(岳地溝帯:標高500m?520m)を通り苗松山近辺で杉田に合流していたことが、河岸段丘の様相で判るそうです。湯川、烏川、深堀川と順々に大量の雨水による決壊で現在の川筋になり北は塩沢不動平の扇状地、南は大玉村の扇状地になって沖積世初期には現在の地形になったという万年単位の話です。この東西幅1km、南北10kmのほとんどに、岳温泉観光協会が設定したウォーキングコースが入っています。景色もいいし、植生も豊富です。写真は福島大学の論文に基づいて描いてみたポンチ絵です。黄色の写真の中に1.5km〜30kmのウォーキングコースがあります。是非、歩いてみませんか?
CTスキャナーの発明家のこと
連日の株価暴落で世界経済は一体どんなになってしまうのでしょう。1929年の大恐慌の再来になるのでしょうか?昭和大恐慌で昭和6年(1931)には二本松に銀行が一軒もなくなった歴史もあり心配な状勢ですね。
その一方で、ノーベル賞日本人受賞の相次ぐ報道に「日本人ってやるじゃない!」と思っている人が多いに違いありません。物理学賞の南部さんは宇宙の起源に迫る理論、小林さん、益川さんは物質の最小単位であるクオークが6個あることを解き明かしたとか。化学賞の下村さんについては、オワンクラゲの発行物質の抽出発見が受賞理由だとか、科学音痴の私にとってはまるで縁の無いことですが日本人の基礎研究能力は「すごいんだなー!!」とつくづく感じます。4人の科学者の出身地や母校はさぞや大喜びだと思います。
二本松からもノーベル賞受賞者が出たらいいのにと思うのは私だけではないでしょう。こんなとき思い出されるのが我が母校である安達高校出身の高橋信次博士です。高橋博士は現在のCTスキャナーにつながる放射線回転撮影法を発明しました。安達高校(旧制安達中学校)から、東北帝大医学部へ進み放射線医学の道に入り、弘前大学教授として研究を積み重ねX泉廻転撮影法を発明、名古屋大学教授に招請、愛知県がんセンター名誉総長にまでなられ放射線学会で世界的に活躍されました。功績は数々の受賞に結び付き、文化勲章を受賞、スウェーデン王立アカデミーからはゴールドメダルを授与されました。残念ながら74才で他界されましたが、もしもご存命ならばノーベル医学生理学賞は間違いなかったと言われている方です。写真は我が母校県立安達高校の正門の横にある高橋信次博士の胸像です。名誉市民である先生の偉業については安達が原ふるさと村の先人館に展示されています。今回は4人の日本人ノーベル賞受賞報道を記念して(便乗して?)、我が故郷の偉人を紹介させていただきました。
友あり、遠方より来たる…
旅館のオヤジは色々な人との出会いがあります。素晴らしい出会いがあり別れもあります。特に印象的な人生を送っている人との出会いは、実に楽しい会話に進展します。また、世界中を股にかけて活躍している人からウィットに富んだお話を聞くことほど、世界が広くなることはありません。
商才があるのはユダヤ人、レバノン人、華僑、インド人だそうです…この話は、地球の裏側から無事生還した友人からつい先日教えてもらいました。彼の今の仕事はファイナンシャル・アドバイザーですが、「行ったことの無い国の投資話には決して手出しをしない」と真面目なこともさりげなく言います。もう30年近くのお付き合いですが、何かある時にはなぜか美人を引き連れて岳温泉に現れる御仁でもあります。最初に出会ったのは1982年ニコニコ共和国独立の年、持ち前の体格と語学力ゆえにメキシコ特使に扮しスペイン語でスピーチをしてもらった記憶が残っています。福島から転勤した後も、たまに私を訪ね、豊富な話題で私たちの心の幅を広げてくれる友人でした。先日3年ぶりにお目にかかりました。彼は前職を早期退職し、2005年の11月に岳温泉の私たちに会った後、成田からアメリカ大陸へ旅立ちました。フロリダの真っ青な空と海を背景にした写真やラテンアメリカ諸国では各国美女と一緒の写真がE?メールで行く先々から送られてきておりました。身の丈190cmの大男ですので押出しも良く、アメリカやラテンアメリカ諸国でも人気者だったようです。約1ヶ月の歴訪の後無事に帰国したようですが、その後病に倒れ生死の境をさまよい友人に会うのもはばかっていたようですが、先日3年ぶりに会いに来てくれました。感激しました。後遺症の残る体に鞭打っての再会です。南米諸国歴訪中のレポートも見せてもらい、彼が今行っている民間外交の片鱗を覗くこともできました。新しい世界の民間外交は元アメリカ大統領のジミー・カーター氏が提唱して始まったようですが、そのメンバーに入っており、日本人としてはただ一人その機関紙の表紙を飾った事があるそうです。世界中に話の広がる友人が、世界の果てならぬこの世の果てから見事に生還、大大拍手喝采です。インカの遺跡でのワンショットを紹介いたします。
檜山フィットンチッドコースのこと
岳温泉に檜山と言う地名があります。旧岳温泉スキー場のすぐ脇がその地名です。地名の通り天に聳えるようなヒノキも多く、また植樹されて20年くらいの若いヒノキも沢山あります。この道を歩くとヒノキの臭いが強く感じられます。特に若いヒノキのそばはヒノキ材油のいい臭いがして身体が覚醒するように感じます。先日行われた岳クラブの月例ウォーキングは、予定されたコースを大きく変更しこのヒノキの森のコースを入れたコースになりました。その日は全国的に夏日、森の外は30度を越える猛暑でしたが森の中は大変涼しく別天地でした。森林浴の効果は昔からよく言われ続けてきましたが、医学的にも最近その実証実験効果が検証されたようです。医者をやっている叔父が、森林浴の効果検証の雑誌を私に見せてくれたが6月半ば、その雑誌を見る4日前のオリエンテーリング大会の時に、歳甲斐もなく私も出場し、高得点を取るために歩いた道が昔の岳温泉スキー場横、檜山の山道だったので余計に森林浴効果が頭に焼きつきました。偶然にも同じ時期に癌の特効薬開発のテレビ番組を見ており、正常な細胞が癌化するのを抑制する仕組みを映像で見ていたため、森の持つ免疫力増進効果が気になったのでしょう。ちなみに森林浴の効果が医学会でデータとして実証されたのは2006年、2007年の9月だそうです。実際に樹木から発散されるフィットンチッドが抗癌作用を持つNK(ナチュラルキラー)細胞である3種類の抗癌タンパク質を増加させる結果が出たようです。こんな素晴らしい効果を持つ森がすぐ近くにあるのはラッキーなことです。ヒノキの森山道は1.5kmほどの高低差の無い歩き易い道です。背の高いヒノキ林は昔からの檜山の地名の場所に聳え立ってます。そこから少し北側が若いヒノキ林です。越谷市の小中学生が丁寧に植林しており結構な広さです。山道は針葉樹ばかりでなく広葉樹も茂り別天地。写真のようなヒノキもあり野鳥の種類も多く感じられます。いずれ檜山フィットンチッドコースなる名称でデビューするかもしれません。熊に注意して歩いてみませんか?
オリエンテーリングで地頭力訓練
オリエンテーリング大会に選手として参加。いつもは主催者側で物足りなく感じたので、思い切って急遽エントリーして無事ゴールイン(注:観光協会仲間の声援とヒンシュクを同時に買いました)できました。今回はスコアオリエンテーリングで、競技時間は1時間のルール。スタート5分前に渡された地図を読み込み、点数の高いコントロール(目印)を踏破し点数を稼ぐゲームです。点数の高いコントロールはスタート地点から遠い山中に設置され、近い場所は逆に点数が低く、自分の体力にあったコース設定と体力が総合点数の多い少ないになって現れます。ちなみに全コントロールを制限時間内に回れば800点です。1分遅れれば10点が減点されます。最高得点者は690点、私は310点でした(ゴール6分遅れで)。参加人数は約300人でしたが、山野を駆け巡る様はまさに健康そのもの、原始時代に戻れる気分です。親子連れあり、大学のオリエンテーリンクラブあり、元国体選手(登山部門の)やクロカン選手も居て、イデタチも様々です。エリートクラスはタイツにハリネズミみたいな服装(これは山林をコントロールめがけて直線的に走る為…このときにコンパスを使う)、家族連れはリュックにハイキング帽、私はウォーキング姿でした。
さて、このオリエンテーリング競技は、間違いなく最近耳にする地頭力(ジアタマリョク)の鍛錬に役立ちます。一般的に頭の良さは3種類だそうです。一つは知識・記憶力ですが、こちらは最近のインターネット検索技術進展のお陰で、簡単に何でも即座に手に入れることができる世の中になりました。二つ目は対人コミュニケーション力、こちらはその場の雰囲気をすぐに察知して対応する能力。そして三つ目は、自分で考えて論理的に筋道を立てていく論理的能力、これが地頭力(ジアタマリョク)だそうです。その要素は(1)結論から、(2)全体から、(3)単純に、の3つだそうですがオリエンテーリングをやれば子供のうちからジアタマリョクが鍛えられる事、間違い無しです。インターネット検索の達人で何でも知っている人には、特に絶対にお勧めします。親子やグループで参加すると一つの目的に皆で力を合わせるコミュニケーション力も構築できます。岳温泉にはパーマネントコースもありますのでいつでもトライOKです。自然の中でジアタマリョクを鍛え、日本に電柱が何本あるか即座に答えられようになる『フェルミ推定』の能力を築き上げましょう。写真は当日のマップです。蛇足…私も3位入賞でした(初心者コースですが)。
阿佐可夜マと安達太良山
『万葉の木簡 初出土』のタイトルがここ数日間、県内紙を大きく賑わしています。紫香楽宮(しがらきみや)跡(聖武天皇の造営)から出土した木簡に「安積山(あさかやま)の歌」が書かれているとの報道は文学に疎い私でも、これは何かのきっかけになるなとの勘が働きます。万葉集の現地で読まれた最北端の山がわが安達太良山であり、何とか福島県全域のイメージを万葉集最北端の地として全国にアピールできないかといつも思っている輩(こと私)にとっては格好の材料です。「木簡の裏側には難波津の歌」が記され、この2つの歌が紀貫之によって「和歌を習得する際に必ず学ぶもの」として「歌の父母」と記して種類の違う和歌のお手本となっていたとの記述には驚きです。
私は、いつも岳温泉をどうやって宣伝するかで頭がいっぱいであると言っても過言ではありません。安達太良山が万葉集北限の山であると判ってからは、必ず「万葉集北限の山・安達太良山の恵みを受けた岳温泉へ是非お越しください」とPRします。万葉集4500首の内、東歌が238首、陸奥を詠んだ歌はその内13首、福島県が12首、安達太良山がなんと3首も詠まれています。福島県のPRの材料としては『万葉集の最北端の県』であると言うのが一番適切だと訴えますが余り取り入ってもらえないのが残念です。今回の『アサカヤマ』木簡の発見が万葉集最北端の県をアピールするきっかけになるチャンスだと思います。著名な歴史家が言う「安積郡を割いて安達郡が誕生(906年)した後、安積山は安達太良山の名称になった」という説をそのまま引用すると、万葉集には4種も安達太良山が詠まれたことになります。素晴らしいことです。それも全部、愛の歌、恋の歌ばかりです。紀貫之に言わせると『父』に対する『母』、『公』にたいする『私』ということになるのでしょうか。写真は『安積山 影さえ見ゆる山の井の 浅き心をわが思わなくに』の歌碑です。郡山には『アサカヤマ』の歌碑が2箇所にあります。是非お尋ねになり、アサカヤマがどの山か、山の井がどの井戸かをご推察ください。
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